といっても、先の開成山公園の序でになりますが(‘∀`)
先ずは道中にある野口英世記念館へ。多分、小5の学校の旅行研修という名目で福島県金山町(奥会津というらしい)に行きか帰りに行った…と記憶してるんですが…曖昧になってますね(^_^;)
↑の写真は生家で、これは見覚えあるんですが、それを囲うような記念館の建屋は記憶にありません…調べたら平成27年にリニューアルしたってことで納得。
記念館の中の展示で目を引いたのは、

このステンドグラスと、

彼が使ってたという地球儀でしょうか。
かなり小さいので国境線なんかは記されてませんが、仕事柄、押し入れの奥に眠ってた古い地球儀を回収することもあって、それが冷戦期の頃(ソ連や東ドイツがある)のだったりすると歴史を感じてしまう歳になったなぁと(^_^;)
記念館の後は鶴ヶ城。最近だとNHKの「八重の桜」で一段と有名になったお城ですね。
ここは多分初訪問。

戦後に復元されたタイプなので、大阪城と同じく鉄筋コンクリート造りですが、周りは木造のままだったりとかします。
ちょっと分かり難いですが、明治(維新後)に解体される前の赤瓦葺になったのは震災の頃だそう。
多分この時、寄付なんかすると瓦の1枚に名前入れられる様な事もしてたようでして、親戚の人も「この中の1枚がどっかにあるw」といってました。
後は白虎隊士自刃の地へ。ここも以前行ったような。

鶴ヶ城を伺う石像があって、ここで落城したと誤認してもはやこれまでと…早まって自刃したのかなという話なんですが…。
実は自刃に至った経緯が最近判明して、落城したかどうかは兎も角、城に戻るか敵陣に斬り込むかという激論の後に、捕まって生き恥を晒すよりは自刃を選んだという話のようです。
結果的に同じなんだけど(´・ω・`)
唯一生き残った方は城に戻り防衛戦も生き抜いて、その後の日清戦争も生き抜いていますから…んー、やはり武士・侍の精神性を考えると仕方ないんでしょうけども…特攻隊や沖縄戦でも感じることですが、この辺が戦闘民族だとかクレイジーとか言われる由縁なんでしょうか…。

石像の辺りから望む鶴ヶ城。真ん中辺のアンテナの後にあるのが鶴ヶ城です。

近くにある会津さざえ堂。これは面白いですよね。
外側はキレイにしてますが、中は千社札がビッチリでして…最近の風潮としては珍しいですね。
後は親戚の家へ。

一応雪国ですので、信号機は縦配置が基本ですね。案内表示も縦(^_^;)
郡山市内は雪は残ってませんでしたが、猪苗代に向かう山間部や会津の雪置場にはまだ溶け残りがあったかな。山もまだ雪が残ってますし。

会津慈母大観世音菩薩像。猪苗代・郡山から会津若松市に向かうと見えてきます。
会津のランドマークですね。

郡山に戻る頃には、磐梯山も山頂の方まで見える様になってました。
次回は日本三大桜の1つ、「三春滝桜」になります(‘∀`)
この日の道中で「滝桜は近いけども、未だ早いんベ」と言われたので、よくよく調べるとホント親戚の家から近い…(^_^;)
でも「おまぁ未だ見たこと無いだろうから、(咲いてないにしても)取り敢えずどんなもんか行ってみるべか」というノリですね。
正直この時は全然期待してなかったです。