うーん、なんか分かるような、これ…。
ただ、それのせいで津波に飲まれてしまった人もいるんじゃ無いかと思うんですよね(‘A`)
個人的には、自分のまわりでそういう避難─逃げる人が出て来たとしても、それはその人が悩みながらも決断した事なのだから、その意志を尊重してあげたい。
そして、もしそんな隣人を見送ることがあるならば、
「何時になっても構わないから、また会おう」
とか、
「落ち着いたら連絡下さいね」
もうそんだけで良いだろうと。
もしも、あの福島第一の被害がもっと広範囲に及んでいて、避難範囲が半径200kmなんて事になっていたら…避難範囲からは僅かに外れていても、そんな事になるかもなーと、去年の3.11後、漠然と思っていたっけ。
で、記事にもある川内村の「帰村宣言」の事を知ったときは、
「ふーん、帰れる位に安心出来る環境になれば、そりゃみんな帰りたいよなー」
なんて思っていたけど、この記事読むと、ちょっと認識が甘かったのかなぁ、自分は。
多分、残ってる人達も、そんなに陰湿な気持ちで言っているわけでは無いと思うんだよね、ただ、逃げようとしている人達が気にしてしまう、そんな空気というのかな。
ただね、そんなんで陰湿な空気が自然に出来上がるような「絆」なんて、大した絆じゃないだろうと思ってしまう。
ちと調べると、「絆し(ほだし)」という言葉がある。辞書では「人の心や行動を束縛するモノ」という意味らしい。まさにこの記事にピッタリな言葉(‘∀`)
個人的には、本当の絆ってのはこんな空気(絆し)に屈しない、もっともっと強いものだと思いたい。
例え離れ離れになり、もう二度とリアルで顔を合わせる事が無くなるとしても、それでも想い続ける心。
それはもう絆では無くて、愛と言うんだろうけど。
あ、なんか小っ恥ずかしいわ(´Д`;)