のんびりと相続手続きしていますが、ほとんど司法書士さんに丸投げなので委任状を書いたりしています。
『委任状って有印私文書だよね?』とか言う位の私ですが…(>_<)
自分の他にも母や妹もそういうの書く事になります……。
とはいえ、記入するのは名前。後は実印だけなんですよね。
でも、そういう書類がどういうモノかを知らなかったりする。
多分、性質上、本人が書けるなら書くべきモノなので、「名前だけ書いといて(実印は捨印とかワカランかも知れないから後でいいや)」と朝の出勤前に言っておいたら、その日の晩……。
「字を間違えちゃった(^_^;)」
(゚Д゚)ハァ?「何で自分の名前を間違えるのさ、どれどれ」
名前が実は旧字で、子供の自分がそれを知ったのは実はマイナンバーとかが始まった頃。そういうのは言ってなかったから仕方ないなと思っていたけど……。
何故か別の字を間違えていたと認識していたようだ。雑だけど合っていたのに…(>_<)
そして「間違っていた」のは、字を間違えたと言うより修正の仕方。
張り紙をしていました。
自分から見て大して変わらない字面を別の紙で書いて貼り付けていた……。
しかも、どんなノリだか知らないけど、接着出来ていないわノリの成分がベースの紙の方にシミを作ってる。
「どうすればいいのか判らなくて……ごめんなさい」
プチーンです。可哀想かも知れないけど。
「あのさぁ、判らない・知らないなら、聞いてよ。前々から言ってるでしょ『分からない事があったら黙って自分だけでなんとかしようとせずに、ちゃんと(私に)聞いて』って」
自分も未だに母の世話になっている。家事全般から起床まで。最近は1人で先に起きることが多いけど。
そういうのは頼ってるけれど、得手不得手ってのはあるから「分からない事は分かってる人に聞こうよ」って話は、随分前からしているんです。
今回の書類なんかには全く慣れていないは知ってるから、年金の手続きなんかは自分が見てもややこしい書類だったから、私がやっちゃいました。
けれど、名前を間違えるとまでは思わないワケです。
だって、印鑑登録証明書は自分で取ってきたんですから。
まあそれでも旧字体のこともあるから、字を間違えただけなら、プチーンとはならんのです。
「こういうのはね、例えば役所や国に出すモノだと、訂正線を引いて、そこに捨印を押して、余白のスペースに書き直すの」
というやり方なら、まだ分かるのです。司法書士さんに聞いてみて駄目なら駄目で仕方ない。
「そうだった……忘れてた」
何となく見えてくる……今は亡き『父が、何から何まで全部やってたんだな……』
その位言い残して逝ってくれよ……(´Д`;)
「そういうの知ってても、イザその時に使えなければ意味ないでしょーがー。分かんないなら勝手な事する前に、私に言ってくれって言ってるのに、どうして聞かなかったのよ」
「……」
出たよ、変なプライド。
そんな事も知らないのかと言われるのが嫌だとか、恥ずかしいとか。知られたくないとか。
そして誰にも相談せずに1人で物事を処理しようとする。
今の時代はそれでも何とかなりますよ。
分からない事はネットで手軽に調べられますから。
インターネットがもたらした「知の共有」は、目には見えないけれど人類社会に大きな変化をもたらす切っ掛けになっています。弊害もありますけど。
当然、ネットが使えて、情報の真贋を判断する能力も必要になって来ますし、やはり専門家がいるならそこに頼んだ方が良い場合もある。相続の件だってそうですからね。
自分の親はネットが使えないわけです。だから知らない事は、教えて貰うしか無い。その筈なのに、何がそうさせないのか。
雰囲気だけでそれに気が付いて、手を差し伸べてくる人もいますが、その善意の声さえ聞かない。
はい、特殊詐欺の出来上がりです。
そういう事をみっちり説教しちゃいました(´Д`;)
自分も若い頃は「聞くのが恥ずかしい」と言う理由で、結構不都合な事を起こしたりもしてきました。
でも、人生の歩みの中で気が付くもんなんですよ。
知らないのはしょうがない。
忘れちゃったのも仕方が無い。
その事は恥ずかしい事かも知れないけれど、正しい答えを知ってる人に訊いて、身に着ける。何時か誰かに聞かれても教えてあげられるように。
と、いうことに。
人類社会で大事な、知の営みの基本。
例えインターネットがその役割の大部分を占めるようになっても、それは変わらないかなと。
子に聞くなんて親としてのプライドが許さないのかもしれませんが、同じ子でも、もう大人なんだって事を受け入れてないんでしょうね。
先に書いた様に、昔と変わらず家事任せてますから(^_^;)
話はズレますが、知の営みの一つに、技術の継承があります。目で盗めとか。
確かに先達の技術の言葉で伝わらない、伝わりにくい部分はよくよく観察しないと分からないというのはありますよ。
でも、言葉に出来る(メディア媒体に保存出来る)部分までも面倒くさがってる先達もいますよね。
自分が満足すれば良いだけで、継承しようという気概が無い人達。例えば事故が起きた時に直ぐに役立つ様な原発の配管図が無かったとか。
そういう面からも、多分そういう知の営みを怠っている技術は(必要なくなった技術もそうですが)廃れていったり破綻していくと思うんです。
実際の日本の産業技術もそうなってると思いますね。
昔は作れたとか、昔はその産業では世界一だったとか。ただの幻想でしたで終わる。
昔から積み上げてきた知の財産を別の分野に活かせるように大事にして来たからこそ、上手に立ち振る舞まえている所もあるけれど……そういう所って結構少ないですよね……。