ふと、こういうのに踊らされてしまう人って、厨二病の一種に掛かっているんじゃ無いかと思ったり(‘∀`)
もちろん自分を含めて。
ただ、今回のマヤ歴の終わりが人類滅亡の時てのはちょっと信じられない。
マヤ文明での時間的概念は、多分に天体観測に強かったのもあるのか、円環的な思想があったんじゃ無いかというのをこの図では強調している気がする。
土偶などには車輪の概念は見受けられるのに、実用化されてなかったなんてーのがそれに繋がってるんじゃ無いかと思うけど、実際にもそうだったんじゃ無いかと。
今の自分達が使っている曜日なんかもその類だしね。
なのにマヤ歴が終わるだけ(正確には次の周期に入るだけ)で新しい世界→人類滅亡てのは良くワカラン(‘∀`)
ていうか、たかだか人が作った歴の区切りだけでアタフタしなくても、いつかは人類が滅びる時は来ると思うので、もっと気長にその時を待って欲しい。
宇宙や太陽、地球の終わりが来れば、そこから脱しない限り一蓮托生なワケだし、人類の敵がやって来て殲滅されるかも知れないし、進化種やロボットが跋扈する世界になるかも知れんが、今のところはまだまだ大丈夫そうだから、急に心配する事は無いと思う。
こんなんに心配する暇があるならもう少し身近な事…世界各地で起きている戦乱や飢餓とか天災を心配して欲しいなー。
それに主観的に見れば自分自身が死んだ時こそが、今までいた(自分が認知していた)世界の終わりなんだから、人類全体を心配しても仕方ないよーな気もするし、それこそ厨二病っぽく感じてしまう(゚∀゚)
そいえば、マヤの長期歴には6312万3288年周期というのがあるらしい(´Д`;)
こういうのがあるのを知ると、なんか仏教の世界観(例えれば仏教由来の数の単位)に通じるような気もして、なかなか興味深いですね。