節電と世間のこと

節電の事を考えているんだけど。
特に昼間。難しいなぁ。
大抵の家庭での節電ていうのは、主に夜間の照明を少し落とすとか、冷房効率を上げるとかしか出来ないと思うんだけど。
というか、ヤシマ作戦だー辺りから始まったままの節電ムードの中、更なる節電とか厳しい気がするなぁ…。


世間のこと。
原発でもそうだし、職場でもそうだし。
どうにも不真面目というか周りを見ないというか…そんな連中の多い事。
原発について言えば、全電源喪失という事態への対応策が練られていなかった。津波自体は想定外としても、全電源喪失という最悪の事態は想定できたと思うんだけど。そしたらさらに予備の発電機を免震重要棟に置いておこうとかも出来たんじゃ無いかなー。
要はそこまで考えようとしなかった。考えるだけ面倒という雰囲気が支配していたんだろうなと。
例えば職場にしても、事務所と区役所と某受付センターでの対応に差異があったり、職員ここによって某かに対してあーでもないこーでもないと対応が変わること。
対応を一様にしたり、職員一人一人がある一定の共通認識を持つように研修なりするべきなのに、何にもしていない現状がある。
よって、区毎によっていろいろまちまちな部分が出ている。
これ、よく考えていくと、市民や市政のこと第一に動いていない、動いていても中途半端ってことでは無いかなって思うんだけど。そもそも内情としてはアレもコレも、特にY150なんかもそうだけど、「見切り発車」した計画が多い…言い過ぎかしら…。
公務員にしても人である以上、不真面目な人もいる。
が、それは仕事の中では出してならないと思う。特に公務員の仕事って、直接的にも間接的にも市民や国民の生活に関わりやすいから。
しかし、仕事も不真面目な人も上から下まで一定の確率でいる(さすがに上になればなるほど、そういう人は居なくなってくるが)わけで。
そんなテキトーかました仕事が一因で出てきたトラブル…と言うにはあれなので、事案としておくけど…当時の担当、要は当事者なのに知らぬ存ぜぬで通そうとした人も実際に居た。
その人に以前「ちゃんと(真面目に仕事)やってるんでしょうね」と言ったんだけど、当の本人は自分の担当していた仕事に対して、普段から真面目に取り組んでいなかったんでしょうね、聞く耳持たずで改善することも無く、その自分の仕事に一因のある事案が出てきても、それがどんな大事になる可能性があるのか、認識していなかったと思う。
後にその事案についての住民との会議の場に、現担当者に引っ張られて行くことに。その場でどういうことになったかまでは知り得ないけど。
一応、そこに住んでいる限りは、その住民にとって半永久的な事案なわけだし。そういう事まで頭が及ばなかったんだろうね。
おっと…なんかに似ているな…。
昼間に検察の冤罪ねつ造の番組とかもやってたけど、あれも結局、自分の事で頭がいっぱいで、本来あるべき本質的な検察官としての有り様を失っている様子がわかる。
有罪にしなければ出世に響くとかいう、本質的な間違いを是正できない組織体質を作り上げた当事者達は、今は裕福な余生を送っていると思うけど、天国なんかにいけるとは思わないで欲しいな…。
取り調べの可視化については、国連からの勧告すら受けているのに、まだ捜査に影響が出るとか、もう昔のようには行かなくなって来ているのに、それを受け入れようとは思わない連中が多いんだよな。
そうそう、「もう昔のようには行かない事を受け入れられない」というのは職場にも当てはまるよな。自戒する部分もあるなぁ…うん。
それは多分、震災後の日本の有り様にも当てはまりそうな気がする。被災者の人達はもちろん、節電を余儀なくされる周辺なんぞもそうだろうけど。
ただまぁ、最近の照明設備はやり過ぎ感は感じていたかな。市営地下鉄グリーンラインの某ホームに最初に赴いたとき「眩しい」と感じたし。
なんかこう…見えてきたような。
このままではいけないという感じかな。
先を見据えて、今しなければならない事はわかっていると思うんだけど、なかなか進まないのは、やはり政治が大きいんじゃ無いかなぁ…。
今回の震災で一番「このままではいけない」と感じるのが、今の政治だったりする…。

投稿者: しらいし じゅん

趣味に奔る人ですε=ε=ε=┌(;゚∀゚)┘

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