そういや三国志って、あんまりよく知らないですー。
て事でwikipediaをちょっと捲ってみたり。
たしか、20年くらい前に流行ったんですよね(少なくとも同世代の間で)、三国志演義のほう。
個人的には関心がなかったんですが、アニメも作られたりと…しかし何故か「レッドクリフ」と聞いて「三国志の赤壁」いう発想に繋がらなかったのは、本気で関心が無かったんですな…あはは。
ていうか好きな人には怒られそうです…
で、何となく最近の中国への個人的な不信感から、
「そういえば、『元寇』ってどんなんだったの?」
という気持ちが芽生えて、再度wikipediaを捲ってみたり。
当時の教科書から得た知識との違いは、
元(モンゴル)軍が二度攻めてきたけど、神風(台風だか嵐)がそのたびに起こって撤退していった。
一度目は威力偵察気味で、兵員や矢の備えも少なく、元々はすぐに引き揚げる予定だった説がある事(帰還時に暴風に合ったというのもあった)。
二度目は防塁によって上陸が出来なかった?事、武士達のコマンド作戦等によって上陸前にかなりの妨害を受けたこと。
二度目は元・高麗からの隊+南宋の江南からの軍の大部隊で、屯田も視野に入れていたらしい。
が、南宋の軍の到着が遅れたこと、占領した国々から徴用した多民族軍で元に対する不満も高く、士気が低かったらしい。
二度目は台風だか低気圧だかの時期に重なり、江南から来た部隊は合流前に嵐で壊滅状態に、高麗側から来た隊も同じ嵐に見舞われたとかとか。
元軍は集団戦法に加え、速射力の高い短弓、火砲だか火薬などを使い、日本の当時の戦での倣わしの沿った戦法では歯が立たなかった。
これは最初期だけの事らしい。当然と言えば当然で、無駄死にしたくない生存本能的に当たり前だと思うし、国が違うんだから倣わしとか意味ないし、二度目には夜討ちやコマンド戦法を使うなど、仕来りもへったくれもないのが解るw
でも、火薬?や石弓などには手こずったっぽい。
とまあ、そんな説などなどが取り上げられていて、なるほどなるほど。
あと、日本でも高度な政治的判断がされていたり、当時はこういう事でも祈祷が沢山行われていた事とか。
ううむ、いま考えると、日本と朝鮮と中国って、昔からドンパチやってるんだね(´Д`;)
特に今の地図を見てもわかるのは、朝鮮半島。
何故かいつも戦渦に巻き込まれて、今も南北分断中と、散々な目にあってる…。
多分、地政学的に、中国への侵攻に対する緩衝材になり得たからかな?
で、中国に媚びるしかなかった事情もあったろうし…。
そんな歴史に触れると、またその内なんかあってもおかしくないんだよなー。