昼のニュース見て、その負債額にビックリ(´Д`;)
解散の話自体は、一昨年末からあったっぽい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120924/k10015235861000.html
てことで、土地開発公社のホームページを見ると…うおお…ちゃんと作ってんのかこれ…人のこと言えないけど(´Д`;)
21年度からの決算関連文書がある…んで、グラフや表の形では17年度からのが見れるけど…。
何となく保有してる土地を見ていると、既に平成10年を越えた当たりから取得した土地はあんまり無い(か、すぐ売れたか…)みたい。
グラフで見ていても緩やかに売却は進んでいた様に見える(これじゃ遅いんだろうけど)。
この頃には、既に「都市計画等の為に、予め土地を取得しておく」と言う役割は終えていたんだろう。
でも、平成19年度と20年度になんか買っています(´Д`;)
20年度に買ったのはまだ保有していて、場所は新高島駅出てすぐの所…。一時貸付土地として相手を探している感じか…。
(゚Д゚;)なんでこんな所4年前に買ってるの?
4年前は、あの中田市長時代だよね。
何の意味があって今さら買ったんでしょう…。
詳しい話は当時の担当とかに聞かないと分かんないんだろうなぁ。
横浜市の土地開発公社は、昭和48年設立だとか。
少し調べてみる…。
当時の市長は飛鳥田氏で、民間シンクタンクの提言により市長から(1965年・昭和40年に)提案された「横浜市六大事業」が公社設立の発端だったのかなと思う。
飛鳥田時代は、準備期間だった感じかな? オイルショックの影響もあったとか何とか、あんまり進まなかったみたい。
次の市長の細郷氏の時代には、バブル景気も重なって、「横浜市六大事業」も本格化していく感じ。「港北ニュータウン」「みなとみらい21」「ベイブリッジ」「金沢区の埋め立て」や「横浜博(YES’89の方)」もこの時代。
公社は大活躍したんじゃ無いかなぁ(‘∀`)
個人的には細郷氏の時代は「昔ながらの横浜」から「今の小綺麗でオシャレな横浜」に変わっていく時代だった気がする。
更に次の高秀氏が市長の時代。
思いっきり建設族出身なので、横浜国際競技場・ズーラシア・国際プール・地下鉄の延伸とかグリーンライン・環状2号線と、まぁ建設しまくりだったなぁ…。
そういえば、ランドマークタワーもこの頃。
あと、上大岡駅の再開発もこの時期で、市と京浜急行が主体でやってたと思う…バブル弾けて完成が遅れたと記憶しているけど。
特に環状2号線は、凄い昔から用地買収してたんだけど、高秀の時代に急に進んだ感じもする。
おかげで財政がw
ま、兎も角、この公社は殆ど飛鳥田-細郷-高秀の3人の時代に活躍したんじゃないかと。
そんで今はもう、その役目を終えて、ゆっくり解散に向けて…。
とまでは行かないほどの負債総額になってしまった、ということ?(゚∀゚)
土地の保有面積や保有高、借金も少しずつ減っていってはいるけど、やはり一昨年度から土地を処分しきれなくなっている感じから判断したのかな。
で、この負債は…市債になると(´・ω・`)
うーん。
YES’89から、23年。約四半世紀。未だに空き地があるみなとみらい。
あの頃の自分は、今頃凄い高層ビル街が出来るんじゃ無いかと思ってたんだけどなー。
なんか自分のイメージとは違うような(観覧車や遊園地が残るとは思ってなかった)。
ま、そうは言っても港北ニュータウンだって造成認可が1974年。足かけ38年でやっと今の町並みになったワケだし、まだまだこれからな気もするワケで。
みなとみらいといえば、クイーンズスクエアの北側の区画に、本当は円筒形の超高層棟を建てる計画があって現在凍結中と聞いたけど、何時か建てるのかしら?
是非とも生きてる内に見たいものです(‘∀`)
しかし、都市計画ってえらく時間掛かるもんですな…。